江戸のダッチワイフ(吾妻形人形)
ダッチワイフの類の歴史は意外に古く、日本の場合、江戸時代にはすでに吾妻形人形とよばれる、吾妻形(綿などで出来たオナホール)を股間に装着した等身大の人形が存在していました。
花咲一男の「江戸雑談 大蛸に食われた女たち」三樹書房には、この江戸時代のダッチワイフ、吾妻形人形に関するエピソードがいくつか紹介されている。面白いのでその中から井原西鶴の弟子の北條団水の『色道大鼓』に記されたエピソードを抜き書きしてみる。
松形兵部之進といふ評判の美男が、これも美女のほまれの高い十六歳の娘と結婚する。新婚一週間もすぎぬ内に領主の命で江戸屋敷に赴き無事使命を果たし、役替加増を賜るが、そのまま三か年の江戸在番となつてしまう。武士は遊里へ通つて色欲を散ずるのは、たてまえとして禁じられている。誠実な兵部之進はやむなく京都の細工人に吾妻形人形の制作を依頼することになる。
京へ人をやり、むかひよせしも、おもひ人(新婚の妻)のかたちうつして注文、十七ばかりの女。せいたかゝらず下(低)からず丸皃(かほ)。肉つきよく。めでたきは髪。足の大指そつて。肌ぬめりんず白びろど。味よき物たかくつきて(陰戸上つき)。内(膣の中)は越前綿をもつてくゝり。上によりかゝる時、手足空にあがりてしめつけるやうにと書付けし通。此上手、ひろき都にただ一人三条寺町のほとりにすみ(元禄五年の『三合集覧』によると京都三条界隈には三人の人形細工人がのっている)。年中ただふたつのすがたを親子して細工し。上下十三人ゆるりと世をわたりぬ。・・・・・・世はさまざまの身過とておかし。此男好みのごとく飲みこみて、昼夜三十日に仕たて此代百両。屏風筥とひとしきに作りこめて東武に下せば、兵部うれしく、蓋明るより涙をながし、さても似たりとて是ほど久しき対面といざなひ行くうつゝなさ。また新枕の心して見れば、細工人の才覚として、口より湯をつげば惣身あたゝまるやうになせり。猶し人肌さながら生て働くごとき。色ふかき男、魂そぞろにたはふれかゝると、手足をあげてしめつけしは、命をとる程におもわれ、あらき息せぬばかりのなづませぶり、これぞおもかげの煙いはず笑ずとなげき、時しらぬ床ばなれのをしく。ある夜のしめやかに、独ごと繰返して、此姿のとかふ答もあらばいかばかり慰かたも一しほなるにと、かこち詢(くどけ)ば、あづまがたにつこりと笑て、かねがね物申したくぞんずれ共、作物のあやしやとおぼしめされんとひかへまいらせたり。はるばる都の雲をへだて、かゝる御なさけ一かたならず、しばしの御留守のうちも、それはそれはさびしうおもひまして。とさすが京こはさきのしほらしくかたれば、ほださるゝ男の心から、おどろく気色なく、うつゝのものと寝るごとく、よすがらおかしき事かずかずすゝめられ、此後は昼夜をしらず心魂とられ、一円屋敷を出ず、うかれふしたるよし。
さて、国元に残された新妻は江戸表の主人の同僚から、主人がえたいの知れない病気のため顔色が衰えていると知らされ、気も転倒するばかり、国守にうったえて通行手形も首尾よく貰いはるばると江戸の屋敷に来てみると。
枕にたちよれば、あづまがた兵部が夜着の下に皃(かほ)さしかくし添臥を、是は何者と引越、時ははや、兵部色かれて本の姿なくあさましき有様。近習の者子細をかたるに、よもやつくり物とはおもはれず、あれ捨よ、といふに、此人形緋紗綾の湯文字しめなをしながら起あがり、皃(かほ)の気色をかへて、仏に造れば木も験(しるし)あり、神に祈れば石も祟、我姿人間にあらずや、心はこれ法界に盈(みち)たり、況や此月なみの契りをや、と立まふを、女ながら武士の子細ある守刀をもつて三刀さしとをして、品川おもてに沈みしかば、兵部悩みあとなく、ふたゝび国へかへりてよい事だらけ、いかなる奇異の事にかありけん。「江戸雑談 大蛸に食われた女たち」花咲一男著 三樹書房
現代語訳ではないので今ひとつ意味が判りづらい部分もあるけれど、ダッチワイフが意思をもって男を籠絡するという筋立ては現代のエロマンガなどでもありそう。人形に対する事細かな描写も面白い。
三樹書房 (2007/02)
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Apr 15, 2007 1:14:07 AM | Permalink
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