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2005.03.11

夢野久作と吾が父・英太郎

takenaka_dogura
竹中労による夢野久作と竹中英太郎についての読み物。

夢野久作といえば竹中英太郎(あるいはその逆)、天の配剤めいた時があった。が、二人は一度しか会っていない。英太郎はその間の事情を、「編集部の企画で組んだので、原稿を通じてだけのつきあいに止まり、私的交際はなかった。久作氏と僕だけではなく、作家と挿絵画家の関係は、たいていそうしたものであった」(『探偵クラブ』昭7/「恐るべき『私』」、妙略)
……とは言え未見の知己、「夢野久作氏の作品の大半は、僕が挿絵を描いたのである。原稿をうけとる度に、今度は何が出てくるかとひそかに胸を躍らせて、構図を考えるのに夢中だった。詰まらない挿絵描き渡世の中で、それは魂冴える一刻だった」云々。詰まらない(小説の)、と父は言いたかったのにちがいない。『陰獣』(江戸川乱歩)で、いちやく大衆画壇の寵児となったが、その乱歩や横溝正史の作品を”文学”として英太郎は認めなかった。
唯一の例外、「夢野久作とはどんな人かと思う」と、英太郎はこの文章をむすんでいる。久作の小説の中にあらわれる「私」、自身を描くもう一人の「私」。夢野久作を土着の作家と規定するのは、間ちがいと言わぬまでも、皮相な見解である。一個のアナキスト竹中英太郎と、『台華社』の杉山茂丸を父とする夢野久作の間には、共通する気質があった。
左右を弁別しない氏族のエートス、久作の祖父に当たる三郎兵衛は、黒田家諸藩応接役であり、明治維新に先立ち藩籍を奉還するべくカンカンガクガク、主君に膝詰め半日も諷諫して、閉門を仰せつけられた。同じく、英太郎は竹中半兵衛の末裔、黒田藩の食客兼槍術指南の家柄。ご一新後は零落し、貧窮のどん底に離散してゆく。
志操、硬質のル・サンチマン。人を殺した人のまごころ(夢野久作『猟奇歌』)、狂気と呼ばれる、人間の最も純粋な動機と感情。その修羅に踏み迷ってこそ、殺人をテーマとすることができる。
「ホンタウの悪魔とは、自分を悪魔と思つてゐない人間を指して云ふのである」(『鉄槌行進曲』/『新青年』昭4・7月号)
この戦慄すべき主題は、論じ出すと『連合赤軍』、同志殺しにまで発展してゆく。夢野久作と竹中英太郎の出会いは、昭和十年一月二十四日、『ドグラマグラ』の出版記念会。
「もう挿絵は描かんとですか?」「ハア思うところありまして……」
「羨ましかですねぇ、止めようとしてやまることじゃなか」
互いに無口であり、みじかい会話しか交わさなかった。英太郎は画筆を折り、赤い夕日の満州へ渡ろうとしていた。久作は父の心情に理会して、握手の掌をさしのべた。
「その肉を裂いて臓腑をひき出し・ガイ骨を漂白し・血液から糞尿までを分析して、その怪奇と醜美と悪徳とに戦慄しよう」(『探偵小説の招待』昭10)
昭和十二年三月十一日朝、夢野久作は来客と用談中卒倒、急逝した(行年四十七歳)。英太郎はそのころ、二・二六事件に連累して国外逃亡、五族協和の無政府ユートピアを大陸に夢見た。昭和十年、『大江春泥画集』(江戸川乱歩)、『鬼火』(横溝正史の発禁小説)の挿絵を残している。前者は乱歩の諸作品に題をとり、「ほんらい乱歩はこう書くべきであった」醜美の図を、あらゆる技法を駆使して画いている。
売る絵を再び描かなかった戦後、「ドグラマグラだけは、俺が描いてみたかった」と、ふと漏らしたことがある。何故かつれづれに筆をとって、『ドグラマグラ』のイメエジを素描しているのである。
一九八八年四月八日、雪の新宿街頭でゆき倒れ、父は八十一歳の生涯を了える。

『ユリイカ 特集 夢野久作』(1989年1月号)より。
画像は竹中英太郎による「ドグラマグラのイメエジ」

Mar 11, 2005 12:32:46 AM |

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Comments

これもいい話ですね。
いつもありがとうございます。

Posted by: osa | 2005.03.11 02:25 午前

久作の小説に絵をつけた人で、もう一人素敵な人が青柳喜兵衛。
『氷の涯』の装幀だとか、「犬神博士」の挿し絵かいた人です。
英太郎もいいですが、喜兵衛のとぼけた感じも久作の小説にぴったりです。

御存知かもしれませんが、久作と喜兵衛のエピソードが多田茂治『玉葱の画家 青柳喜兵衛と文士たち』(弦書房、2004、9)というのに載っているのです。是非是非。

Posted by: yumuto | 2005.03.11 04:40 午前

osaさん、yumutoさんこんにちは。
恥ずかしながら、青柳喜兵衛という人は知りませんでした。
『玉葱の画家 青柳喜兵衛と文士たち』という本読んでみたいです。

久作は三一書房の全集で読んだので、実は久作と竹中英太郎という組み合わせもピンとこないものがあります。やっぱ、竹中英太郎は乱歩のイメージが強いし、久作の作品って『ドグラマグラ』も含めてもっとカラっとした印象があるんですよね。dから、角川文庫の宇野亜喜良の絵もイメージじゃない。

Posted by: Hugo | 2005.03.11 01:19 午後

三一の中村宏もアクの強い絵ですね。セーラー服や機関車、機械に対する偏執が…。
三一版が出た当時、異端作家ブームでしたから、あわせてどろどろした感じの絵になったんでしょうか、全集。

そうそう、久作ってちょっとカラっとした印象。
どこかで明るいですよね。「ゐなか・の・じけん」みたいな明るさは、それがかえって怖さみたいになってますけど。

青柳が書いた久作の追悼文だとかは、『暗河』1978、冬で読めます。
確か、大阪の中ノ島にある図書館?に収蔵されてます。
そこでコピーしてもらいました。

Posted by: yumuto | 2005.03.11 11:09 午後

yumutoさん、こんばんは。
三一書房の中村宏の絵も良いんだけど、久作のイメージかというとやっぱりちょっと違うような気がするんですよね。
久作の作品は、乱歩のような高等遊民的な享楽性が希薄なので、どうもこういうフェティッシュなイメージは違和感があります。

青柳喜兵衛が書いた久作への追悼文、読んでみたいなぁ。
中ノ島図書館かぁ、行ってみようかしら。

Posted by: Hugo | 2005.03.12 10:56 午後

中央図書館にも中之島図書館にも入ってるみたいです。
HP見てみましたよ。
青柳以外にも、久作が新聞記者として働いていた時の上司だとか、久作の御友達だとか、『夢野久作の世界』で収録にもれてたエッセイがたくさん入ってますよ。

乱歩はフェティッシュなのが似合うというか、身体性が濃厚というか、触ったり見たりする感覚、欲望がどばーっと出てる気がします。
久作、誰の絵が似合うのかしらん。

Posted by: yumuto | 2005.03.14 03:14 午前

yumutoさん、こんにちは。
わざわざ調べてくださってすいません。
実はちゃんとした図書館って行ったことないのでちょっとビビってます。でも、勇気をだしてちょっと行ってみよう。

久作に合う絵は、いまパッと思いつかないですけど、あまり艶っぽくない、どろどろしてない、漫画のような簡潔な絵の方が向いてるような気がするなぁ。

Posted by: Hugo | 2005.03.14 11:37 午前

Hugoさん、こんにちは。

〉艶っぽくない、どろどろしてない、漫画のような簡潔な絵
だったら、久作が自分で描いた絵がそんな感じですね。
『白髪小僧』の挿画、装幀、全部自分でしたそうですけど、本職の挿絵画家よりも、上手。すごくあってる気がします。
久作の絵、大好きです。

たくさんコメントつけてしまってすみませんです。
またよろしくお願いします。

Posted by: yumuto | 2005.03.15 01:46 午前

yumutoさん、こんにちは。
>たくさんコメントつけてしまってすみませんです。
こちらこそ色々ご教授頂き感謝しております。

久作は絵上手いですよね。

Posted by: Hugo | 2005.03.15 02:31 午後

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