小林多喜二の死に様

1933年2月21日、特高に逮捕された小林多喜二が急死した。警察の発表は心臓麻痺であったが、実際には特高が小林に対して行った凄まじい拷問によるものだった。(写真は小林多喜二の遺体)
同日、母親の元に返された小林多喜二の遺体の様子を、立ち会った作家で作家同盟の同志であった江口渙が「われらの陣頭に倒れた小林多喜二」(昭和43年)という文章にしている。
安田博士の指揮のもとに、いよいよ遺体の検診がはじまる。すごいほど青ざめた顔は、はげしい苦しみの跡をきざんで筋肉のでこぼこがひどい。頬がげっそりとこけて眼球がおちくぼみ、ふだんの小林よりも十歳ぐらいもふけて見える。左のコメカミにはこんにちの十円硬貨ほどの大きさの打撲傷を中心に五六ヵ所も傷がある。それがどれも赤黒く皮下出血をにじませている。おそらくはバットかなにかでなぐられた跡であろうか。
首にはひとまきぐるりと細引きの跡がある。よほどの力でしめたらしく、くっきりと深い溝になっている。そこにも皮下出血が赤黒く細い線を引いている。両方の手首にもやはり縄の跡がふかくくいこみ赤黒く血がにじんでいる。だが、こんなものはからだのほかの部分にくらべるとたいしたものではなかった。帯をとき着物をひろげてズボン下をぬがせたとき、小林多喜二にとってどの傷よりもいちばんものすごい死の「原因」を発見したわれわれは、思わずわっと声を出していっせいに顔をそむける、
「みなさん、これです。これです。岩田義道君とおなじです。」
安田博士がたちまち沈痛きわまる声でいう。前の年に警視庁の拷問室で鈴木警部に虐殺された党中央委員岩田義道の遺体を検診した安田博士は、そのときの残忍きわまる拷問の傷跡を思いだしたからである。
小林多喜二の遺体もなんというものすごい有様であろうか。毛糸の腹巻になかば隠されている下腹部から両脚の膝がしらにかけて、下っ腹といわず、ももといわず、尻といわずどこもかしこも、まるで墨とべにがらとをいっしょにまぜてねりつぶしたような、なんともいえないほどのものすごい色で一面染まっている。そのうえ、よほど大量の内出血があるとみえももの皮がぱっちりと、いまにも破れそうにふくれあがっている。そのふとさは普通の人間の二倍くらいもある。さらに赤黒い内出血は、陰茎から睾丸にまで流れこんだとみえて、このふたつの物がびっくりするほど異常に大きくふくれあがっている。
電燈の光でよく見ると、これはまたなんということだろう。赤黒くふくれあがったももの上には、左右両方とも釘か錐かを打ちこんだらしい穴の跡が十五、六ヵ所もあって、そこだけは皮がやぶれて下から肉がじかにむきだになっている。その円い肉の頭がこれまたアテナ・インキそのままの青黒さで、ほかの赤黒い皮膚の表面からきわ立って浮きだしている。
「こうまで徹底的にやられたんでは死ぬのはあたりまえだよ、これじゃキンタマだって何べん蹴られたかわかるもんか」
「だが、さすがに小林だよ。こんなむちゃくちゃにやられるまで、よくもがんばりとおしたものだ」みんなは深いため息といっしょにこんな言葉をかわすうちにも遺体の検診はさらに進む。
ももからさらに脛を調べる。両方の向こう脛にも四角な棒かなにかでやられたのか、削りとられたような傷跡がいくつもある。それよりはるかに痛烈な痛みをわれわれの胸に刻みつけたのは右の人さし指の骨折である。ひさし指を反対の方向へまげると、指の背中が自由に手の甲にくっつくのだ。人さし指を逆ににぎって力いっぱいへし折ったのだ。このことだけでもそのときの拷問がどんなにものすごいものであったかがわかるではないか。
さらにシャツもズボン下もぬがせた丸裸でうつ向けにすると、背中も一面の皮下出血だ。ももや下っ腹ほどにひどくはないが、やはりふんだり蹴ったりした傷跡でいっぱいだ。ここには死斑も出ている。死斑にはありありと蓆の跡が見える。殺したあと、そうとうの時間を丸裸のまま蓆の上に寝かしておいたものとみえる。上歯も左の門歯が一本ぐらぐらとなってやっとぶら下がっているという状態である。
「こうまでやられたんでは、むろん腸も破れているでしょうし、膀胱だってどうなっているかわかりませんよ。解剖したら腹のなかは出血でいっぱいでしょう。」
と安田博士が説明する。きのうの五時とかに死んだというのに、死臭がぷうんと鼻をうつ。内臓を破られたための大量の内出血がすでに腹のなかで腐敗しはじめたのだ。
『別冊新評 作家の死』 1972年 新評社より
以下、小林多喜二とまったく関係のない余談なんだけど、この『別冊新評 作家の死』の中で、『めりけんじゃっぷ』や怪奇実話ものの読み物、或いは『丹下左膳』で知られる牧逸馬(=谷譲二=林不忘)の奇妙なエピソードを奥野健男が喋ってるので紹介。
林不忘という「丹下左膳」をかいた人は、奥さんが部屋を三つ用意していて、チャンバラをかくときは着物を着て書くし、谷譲二になるときはアメリカ風の洋服を着るというように三人を順番にやらされて、ものすごく書かされて。最後には死んだというわけですけどね
この書くものに合わせて服装を変えたというのは本当かなぁ?
Jan 27, 2005 10:56:38 PM | Permalink
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Comments
山田風太郎の本にもありましたね。
画像もっと無かったのかなあ…。
Posted by: Miz | 2005.11.04 04:36 午前
Mizさん、こんにちは。
山田風太郎の本って、「人間臨終図巻」?
画像に関しては探せばまだあるのかも知れませんけど、僕は上の写真しか観たことないですね。
Posted by: Hugo | 2005.11.04 01:27 午後
お邪魔します。
学校教材になるけど、日本史の資料集にちょっと別のアングルから撮った写真がありましたね。
Posted by: dol | 2006.03.07 10:59 午後
dol さん、こんにちは。
やっぱり他にも写真あるんですね。
その資料集の写真観てみたいなぁ。
Posted by: Hugo | 2006.03.08 04:14 午後