『アンネの日記』は二つあった?

浅学にして知らなかったのだが、『アンネの日記』で有名なアンネは二種類の日記をつけていたんだそうだ。「あまりにも有名な事実」らしいのだが、オレが無知蒙昧なのか?
アンネは1942年6月6月12日から日記をつけていたのだが、1944年の春、ラジオでオランダ亡命政権の文部大臣によるラジオ放送を聴いて、それまでつけていた日記とは異なる日記を残そうと考えるようになった。
そのラジオ放送は、戦争が終われば占領下で苦しんだ国民の手紙や手記を集めて出版したいという内容のもので、それを聴いてアンネは自分も戦争が終わったら日記を本として出版したいと考えるようになったのである。そのため、アンネは今まで書いてきた日記を推敲、清書して、また不足と思われる部分を思い出しながら追記したりして新たな日記を作成した。その間も従来からの日記は継続して書き続けられ、結果、アンネは自分だけのプライベートな日記と、後に書籍化をすることを前提にしたパブリックな日記の二つを平行して記述することになった。
日記は1944年8月1日まで書き続けられ、その3日後の8月4日にアンネ家族はナチスに逮捕、連行され、当たり前だが以後、日記は書かれることはなかった。
連行後、残された日記を回収したミープ・ヒースは戦後、唯一生き残ったアンネの父、オットーに日記をひきわたし、オットーは熟慮のすえ娘の希望をかなえるために日記を書籍として刊行することに決めた。その際、オットーはアンネの書籍化するためのパブリックな日記と、自分用のプライベートな日記を繋ぎ合わせて、さらに母親に対する悪口や性に対する記述など不都合と思われる部分を削除して新たな日記を作った。これが、所謂『アンネの日記』として出版され世間に広く知られるようになった版である。
1980年にオットーが死亡し、その際、アンネの直筆の日記は遺言によりオランダ国立戦時資料研究所に遺贈され、1991年に『アンネの日記』の版権を持つ「アンネ・フランク財団」は直筆原稿をもとに完全版といえる新版を公刊することに決めた。こちらの版もプライベートなものとパブリックなものを継ぎ合わせたものだが、オットーにより削除された部位を含む、ほぼすべてのテキストを集約したもので従来の版に比べて3割ほど内容が増える結果になった。
その後、さらに5ページ分の未発表の日記が発見され、現在、文芸春秋社から出ている<増補新訂版>と呼ばれる版は1991年の完全版+この5ページの内容を含むものになっている。
以上、文春文庫版『アンネの日記』の「この本について」と題された「アンネの日記」の成り立ちについて記されたテキストの要約。
※写真は5歳のアンネ・フランクちゃん、ベリー・キュート。
Jan 8, 2005 2:19:45 AM | Permalink
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Comments
アンネの日記が焼かれた!!!
ドイツのネオナチにアンネの日記が焼かれたという衝撃的なニュースを目にした。 私はベルリンのアンネ博物館で、実物を見た事があるが、今回焼かれたものは、どれなのだろう?
Posted by: 磯貝 | 2006.07.07 05:29 午後
えっ、本当ですか? 知りませんでした。
Posted by: Hugo | 2006.07.07 05:45 午後